【アニポケ振り返り感想】#20「夢に向かってゴー!サトシとゴウ!!」(4/5放送)
はじめに
あんまりこの記事を読んでくれている人にとっては関係ない(もう知ってるから)かもしれませんが、4月30日までアニポケ全話無料期間です。振り返りや見逃しに是非。
【見逃し配信】アニメ「ポケットモンスター」 - YouTube
今回もスクショ有でやっていきましょう。ほんとに打ち切りみたいなサブタイだな……
OP前パート
ムウマ
ムウマ。
ポケモンオリエンテーリングへの帰結
第一シーズン(仮称)を一区切りつける回に、サトシとゴウの原点であるオリエンテーリングを持ってくるのは、一言で言えば「エモい」に尽きる。
かつてオリエンテーリングで教えられていた立場の子供が、こうして成長して今度は教える側に回る……というのは、まるで最終回かのような要素回収の手段だ。また、これを通してサトシとゴウも自分をもう一度見つめなおす(そしてそれを人に教えることで説明口調になる不自然さを排している)というのも、シナリオとして強引さが無い。うーん、今回で言いたいことだいたい言っちゃったな。
Aパート
子供にポケモンを教えるサトシ
これこそがこの回の最大のテーマ、「メタ視点から見たサトシの役割を作中で再定義する」だ。わかりやすく例えれば、ヒーロー物でたまに挟まれる、ひとりの子供を助けるエピソードと同じだと思えばいい(あんまりわかりやすくないな)。
つまり、サトシとは我々視聴者にとって、ポケモンの世界(あるいは概念)へと導いてくれる先導者(もっと語弊を恐れずに言うなら「教祖」と言っても良い)なのだが、その役割を作中で果たしてしまうことで、作中世界においても先導者の役割を担う……ということだ。で、自分はこの先導者という役割を「概念的サトシ」、それを実行しているサトシを「メシア(救世主)サトシ概念」と呼んでいるのだけど、今回はまさしくそういう話。
一番わかりやすいのは「みんなの物語」におけるサトシで、あれこそまさしくメシアサトシ概念の最たる例だ。ポケモンパワーとか言ってるので、教祖としての解釈は容易だろう。これはちょっとわかりづらいので、いつか個別記事を書きたいとずっと思っている。メシアサトシ成立の経緯とか。
閑話休題。つまり、サトシの役割に視点を当てると、一見何気ないこの回は、プチ「みんなの物語」であると同時に、メタ(視聴者)から見たサトシの役割とも融合させているという、結構すごい回なのだ。サトシを解釈する上では非常に見逃せない要素が詰まっていると言えるだろう。
ポケモン同士の狩り
ポケモンとポケモンの生態系の話を積極的にするようになったのは第七世代(サン・ムーン)の図鑑説明以後が顕著なのだが、当然ながらそれまでの図鑑説明にもそれなりに描かれている。ピジョンとタマタマの話とか。で、やはりこれまでのアニポケでもそれはテーマとして持ち上げられたことは多いんだけど、こんな風に日常の風景で、住宅街の中というのは、あんまり無かったシチュエーションだ。そもそも住宅街なんてものを描いてこなかったからね。まさしく、「空に、海に、森に、街に、世界中の至る所でその姿を見ることができる。」というわけだ。
大事なポイントとして、生態系も描写するということは、「ポケモンは身近な存在である」というところからさらに一歩踏み出して、「ポケモンの世界は人間の世界と隣合わせである」まで行っていることは抑えておきたい。これが、ポケモンが生物としてリアリティの高い最大の要因である。
ジュンサーさんのガーディ
えっ、「人間にとって危険なポケモンを追い払うために「ほえる」を覚えている」?なんだよその解像度と解釈……良すぎる。警察と言えば犬だろう、というところからさらに一歩踏み込んでいるのがめちゃくちゃに良い。
サトシとゴウの対比
「サトシはバトルで、ゴウはゲット」……というのはずっと対比されていることだが、まあそれのおさらいみたいなものだ。結局子供たちをほっぽって自分が夢中になってしまうところも同じ……というところまでセットなのは言うまでもないだろう。ところで、ニドランって同一ポケモンとして登録されるんですね。
WCSの公式バトル
いわゆる「目と目が合ったらポケモンバトル」というやつ。この描写はこれまでのシリーズでも無かったわけではないけど、ここまで露骨にゲームの仕様に寄せてきているのはなかなか無いと思う。という意味で、結構WCSの設定は良いと思います。ゴウの嫌う「意味のないバトル」が成立しづらいというのもある。
ちなみにこいつメガニウムと合わせてゲスト声優(霜降り明星)らしいですね。作中感想にはあんまり関係ないので省略するけど……。
Bパート
メガニウムの"のしかかり"
ここめちゃくちゃゲーム的解像度高くて笑っちゃった。そう、メガニウムはレベル技でロクなサブウエポン(草タイプ以外の技)を覚えないので、旅パに入れようとすると、必然的にのしかかりを採用せざるを得ないのだ(あとはかいりきとか)。だからメガニウムと言えば「はなびらのまい」と「のしかかり」というイメージがある。もしかして脚本の人はチコリータを選んだ経験があるのかも……とか考えると面白い。
「そしたら俺の夢、ポケモンマスターに一歩近づけるかなって」
すごい話だ。「一歩」だけだと認識しているのに、それすらも「かな」という仮定でしかない。サトシはサトシである限りポケモンマスターになることはない……というのは前の感想で話したが、ここまで遠い目標と捉えているとは思わなかった。流石である。
よく「サトシはいつになったらポケモンマスターになれるのか」という野暮なツッコミがあるが、これについての回答は「一生なれない」である。仮にすべての地方のチャンピオンになったとしても、すべてのポケモンを捕まえたとしても、サトシはさらにその上を目指すだろう。それがこのポケモンマスターを目指すということである。終わりのない目標と言っても良い。常に今の自分より上に行くという意思表示そのものだ。
サトシとゴウの目的
これはずっと見ている人ならわかりきっていることなのだが、サトシとゴウも、ゲットとバトルという手段は違えど、その最終目的は「ポケモンともっとわかりあえる気がするから」ということに他ならない。これをちゃんと対比させて、どっちも描写したっていうのは作品的にはすごく大事。これが一区切り回なら猶更である。
雑なロケット団ノルマ
雑な……とか言ってるが批判ではなくこれは褒めている。ロケット団はこれぐらい雑に出してもいいってことだからね。
で、この流れでもちゃんと「ルギア」と「レイドバトル」っていう要素を説明しているのが、この回らしいなと思うところだ。ちゃんとガチャ召喚するし、この回でやらないといけないこと、をきっちりやっているのがすごい良い。
ここで出るポケモンがクロバットとエアームドなのは、やっぱりルギア(第二世代)に合わせてるのかな。
で、それをサトシとゴウが協力してやっつける……というテンプレまでしっかりやってくれた。ロケット団がこの作品においてどういう役割を果たすか?というのはまあぶっちゃけ今更言う必要がないんだけど、これが説明回である以上、やらなきゃいけないことで、それをスムーズにちゃんとやったのは、流石と言わざるを得ない。
先導者概念の完成
この話は最後にサトシとゴウに憧れてポケモントレーナーを目指すことを決意する子供たちで終わる。この描写を持ってして初めて「先導者概念」は完成するので、これが無ければならない。
ここで重要なのは、その隣にゴウもいることだ。ゴウはまだサトシに導かれている側なのだが、ここで導く側としても成立させた。これは、導かれている途中であっても、誰か(もっと言うなら未来)を導くことはできる……ということだと解釈した。ゴウもまた主人公であり、成熟した(という概念の)サトシには不可能な視点、角度から誰かを先導することもできる、そういう位置づけとしてゴウはいるのではないかとも考えた。これから先のゴウの役割から目が離せない。
ミュウ
そして最後のミュウ!えー、シナリオ作りが上手すぎる……
ゴウの目標である「ミュウをゲット」っていうのは、いまいち「すべてのポケモンを捕まえる」とどういう相関関係にあるのかぶっちゃけよくわからないんだけど、ここで大事なのはそういうことではなくて、その姿勢こそが夢を掴み取る最良の方法だ……ということ。それを、「実はミュウ(大きな夢)はすぐそばにいる」ということで描写してしまうのは、上手すぎてびっくりした。これならルギアが助けに来た理由も説明がつくし、サトシのポケモンマスターと違っていまいちミュウに近づいている印象が無い……というのも補完してしまう。すごすぎ。
あとがき
一見なんてことはない回なのだが、サトシとゴウの再定義が非常にしっかりとしている丁寧な回で、やはりこの作品に対する好感度と信頼はどんどん上がっていくと感じた。
そして、次シーズンの予告の中では過去作キャラとサトシが再会する様子や、剣盾新キャラの姿など、ついに待ち望んでいた要素が多く見える。
本来はこれをメインにまとめ的な作品にしてもいいんだけど、そうすると「サトシとゴウの物語である」というのがどうしても強調されづらくなってしまう。だから、20話かけてサトシとゴウに焦点をあててしっかりとそこを描写したのは正解で、「満を持して」ようやく出せるようになったというわけだ。つまり、この作品はこれからが本番である。
【次回】
【前回】